伊達藩(仙台)の祖は伊達朝宗!家系図と子孫の現在!政宗は二人いる!

青葉城址公園の風景写真
伊達藩(仙台)の祖は伊達朝宗(常陸入道念西:中村朝宗)!

  • ・伊達政宗と伊達家家系図。
    ・9代政宗(大膳太夫)は中興の祖。
    ・伊達みきおさんと伊達家の関係。
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仙台藩(伊達藩)の祖は伊達政宗公でも、伊達家の祖は「伊達朝宗」!

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伊達家の祖の伊達朝宗はどんな方?元は中村姓!

伊達朝宗公の肖像画

伊達家の祖から伊達政宗公までの

  • ・家系図
    ・初代朝宗公の伊達を名乗るまでの経緯。

を解説。
*諸説ありますが、有力をまとめてみました。

伊達家の初代から17代政宗公までの系図!

以下に、情報を整理して、私なりにまとめて作成してみました。

伊達家の系図

18代当主が、伊達政宗公の正室「愛姫」の子
「忠宗」
になります。

現代は33代目当主で「伊達泰宗」(だてやすむね)氏で、仙台在住のようです。
ここでは、主に伊達家の成り立ちについて、解説します。

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伊達家初代「朝宗」は「中村姓」!源氏との関係が深い!

初代の「伊達朝宗」公は、当初は「中村姓」でした。
家系図の冒頭に

  • 父:中村光隆
    母:源為義娘

とあります。
委細は以下。

大治4年(1129年)誕生
諡号念西公
官位従五位下遠江守、常陸介
正治元年10月2日(1199年10月23日)死没

娘の「大進の局」は、「源頼朝」の側室で、歴史的にも翻弄された
「貞暁」
の母です。
源氏との関係の濃さが、うかがい知れます。

母の父「源為義」は「義朝」の父で「頼朝」の祖父に当たります。
伊達家には、源氏の血も流れているんですね~~

「中村朝宗」
は「中村太郎」とも称し

藤原氏本家の荘園でもあった下野国芳賀郡中村荘に住し中村八幡宮の南東に館を築いて中村荘を管理していた。

とあります。
当初は、朝廷の役人であったようですね。
都で

  • ➀:高松院の蔵人となり院の判官代
    ➁:東宮(皇太子)を守護する代官
    ➂:地方官としては、遠江守、常陸介

も務めたとあります。

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中村姓から伊達姓になったのは奥州合戦で得た伊達領!

「中村朝宗」
の人生のターニングポイントは
「頼朝」
の挙兵。
源氏との縁の深さから、麾下にはせ参じる。
年表にしてみました。

治承4年(1180年)源頼朝挙兵
文治5年(1189年)奥州合戦で4人の息子と奮戦し敵軍大将を生け捕りの功。
この功績で陸奥国伊達郡を拝領

この伊達郡とはこの場所。

伊達郡の地図

現在の

  • ➀:桑折町(こおりまち)
    ➁:国見町(くにみまち)
    ➂:川俣町(かわまたまち)

を言いますが、昔のお話ですから、詳しくは何とも。
いずれ、こういう地をいただいたわけです。

それぞれの子供のその後。

  • ➃:旧来の所領常陸の国伊佐:長男:伊佐為宗
    ➄:下野国中村(中村城):三男:中村資綱
    ➅:陸奥国伊達郡:次男:宗村

この伊達郡を拝領した時に
「中村姓」 → 「伊達姓」
に変更したとあります。
その後、次男の「宗村」が継ぎ、伊達政宗公に、続いていきます。

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9代伊達政宗公は伊達藩の中興の祖!

伊達大膳太夫政宗の肖像画

「源頼朝」公から拝領した
「伊達郡」
は、上の地図から言っても、ほんのわずかな地。
これを紆余曲折の末に、大きくしたのが9代目の

「伊達政宗」(大膳太夫)

です。
年表にしてみました。

 

正平8年/文和2年(1353年)生誕
天授3年/永和3年(1377年)家督相続
天授6年/康暦2年(1380年)出羽の国置賜郡に侵攻開始
元中2年/至徳2年(1385年)長井氏攻略し、置賜を伊達氏の拠点(奥州仕置きまで200年続く)
応永7年(1400年)足利満兼の割譲要請を拒否・戦に発展。(伊達政宗の乱)
応永9年(1402年)出羽高畑城(現在の山形県高畠町)に入る
応永12年(1405年)同城で没:52歳

年表で書くとこうなるのですが、攻略した置賜地方のマップです。

置賜地方の地図

  • ➀:米沢市を中心とした米沢都市圏
    ➁:南陽市を中心とした南陽都市圏
    ➂:長井市を中心とした長井都市圏

広大です。
米沢城を拠点にした、17代「伊達政宗」公が、継承した約
「30万石」
のマップかと。
上の伊達郡から一気かどうかは、定かではないですが、この置賜地方の攻略は伊達家にとっては画期的。
なので

「中興の祖」

と言われるゆえんかと。

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伊達政宗公は仙台藩の初代藩主!石高は最高何万石あった?

「伊達政宗」公が家督を相続したのはなんと
「18歳」
名前は、同じ「政宗」でも
「藤次郎政宗」
と区別されます。

相続時ではうあく「30万石」。
最高は、「本領と会津4郡・仙道7郡」を合算して

  • ➀:直轄:114万石
    ➁:葛西大崎氏傘下:26万石

合計:140万石

に達したと。
しかも、その年齢が「1589年」です。
家督相続してわずかたったの4年。
まだ22~3歳という若さ。

その後は、「太閤殿下」「徳川家康公」と、激動の時代を生き抜くんだな~~

石高の推移は、こちらで詳しく解説しました。

伊達政宗の関ケ原以前と以後の石高と兵力動員数は?生涯年表で表示!

此方では、伊達政宗公の正室や側室と、子供の名前やその後の処遇など解説しました。

伊達政宗の正妻と側室と子供は何人?名前とその後の処遇を解説!

幕末の仙台藩は、不遇でした。
逆に宇和島藩の活躍は、素晴らしかったです。
その時々の世の中の情勢で、うまく立ち回れないか、人材がうまく機能しないとか、いろんな要素があるのかもしれません。

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伊達朝宗養子の「伊達朝定」は源義経の子説!

「伊達朝宗」
の養子に「中村朝定」という方が。
実は、この方が「源義経」の子供であるという説。

源義経と郷御前の間には
「一男一女」
がいたのですが、なぜか奥州合戦時には「女の子」しか確認できませんでした。

時を同じくして、奥州合戦勃発の、直前に養子に入っているから、ことが真実味を。
しかもこの方、幼少時を

「経若」

というから、これまた真実味が。(源義経は牛若)
上の説明で

➄:下野国中村(中村城):三男:中村資綱

が相続しましたが、念西(朝宗)の遺言により、中村城主に。
その時「朝定」は

「義宗」

と名乗っていたのですが、鎌倉では「義経」を連想する、「義」の字を良しとせず

「朝定」

に改名したとあります。
なんとも、信憑性のあるお話で、ロマンを感じます。

さて・・ホントかな??

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伊達みきおさんは伊達家と親せき?こんな関係!

サンドウィッチマンの「伊達みきお」さんは人気ですね。
だれにでも公平に当たるような、やさしさを持っていて、大震災の復興には、かなりの貢献をしています。
同じ苗字なので‥もしかして。

そうです‥そのもしかして。

ご先祖は9代目伊達政宗公の弟の伊達宗行!

「伊達みきお」
さんの祖先は9代目「伊達政宗」(大膳太夫)の弟の

「伊達宗行」

です。
その後「宗行」は「大條(おおえだ)」に領地をいただきます。

「大條宗行」

と名乗ります。
その後、伊達家宗家に勤務して、戦国時代を迎えます。
その後、「独眼竜政宗」公に、拝領したのが「宮城県亘理郡山元町」。
城は「坂本城」。
幕末まで、ここを領地にしますが、幕末の当主は

「大條道徳(おおえだみちのり)」

氏。
この時、仙台藩の家老職である「奉行」を務めています。
が・・戊辰戦争に敗北。
お家の凋落に、奔走し伊達家と仙台藩の尊厳を守り抜きました。
その功績により

大條 → 伊達

の姓にすることを許されました。
そこで名前を

「伊達宗亮」

と改名しました。
「伊達みきお」さんの、何代前のおじいちゃんでしょうか?
此方の御子孫です。

・・・・・・・・・
伊達政宗公の家紋や名言などを集めてみました。

伊達政宗の家紋と名言と遺訓!像の3体の写真紹介!墓所の写真紹介!

明智光秀の本能寺の変時点の石高です。

明智光秀の本能寺の変時点での石高を年表の推移で!兵力の動員数は!

兵力の動員数も含めて調べてみたので紹介します。
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伊達政宗公(伊達家)の家系図のまとめ!

仙台伊達家のルーツは初代が

「伊達朝宗」

です。
系図(家系図)に記したように、仙台藩の祖、「伊達政宗公」は、初代から数えて
「17代目」
になります。
9代目の「伊達政宗」(大膳太夫)公は、功績が大だったんですね。

その後の、伊達家の命運を、ここで確立したと。
輝宗公は、その「大膳太夫」にちなんで同じ名前

「政宗」

の名前を命名しました。
親が期待するのは自由ですが、しかしそれ以上だったですね。
天下を渡り歩いた、当時の武将では

「スーパーヒーロー

でしょう。
現在の(2022年現在)の当主は

「伊達泰宗」

氏です。
初代から数えて、実に「34代目」
気が遠くなります。

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武田信玄公の石高の推移を、年表で解説しました。

武田信玄の石高の推移年表と兵力動員数!風林火山は孫子兵法が由来!

上杉謙信公の家紋の由来など。

上杉謙信の家紋の由来と死因や辞世の句の意味や墓所の場所について!

辞世の句など紹介しました。
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・ヘッダーの写真は、仙台城址公園の風景写真です。

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