百八煩悩の意味や使い方と例文は?読みや語源の由来と英語表現!
「百八煩悩」の読みは、「ひゃくはちぼんのう」と読みます。
意味や、どんな場面で使うかの使い方や、自分なりに経験から例文を作成してみました。
語源の由来はどんな所から?
英語表現についても、どう表現するか調べてみたので紹介します。
煩悩と言うくらいですから、仏教伝来かと思いますが、いつ頃から使われたのでしょうか?
Contents
百八煩悩の読み方と意味は?
「百八煩悩」
読み方は「ひゃくはちぼんのう」です。
除夜の鐘は、108回突くそうですが、それと何か関係があるのか?
それが第一印象でした。
百八煩悩の意味は?
以下のように解説されています。
「人間が持つ108種の煩悩のことを言います。」
内容は
1:眼:6
2:耳:6
3:鼻:6
4:舌:6
5:身:6
6:意:6
合計36
この内訳ですが、それぞれに「好、悪、平」の3種類あってこれで、
18種類の煩悩。
これにさらに「浄、染」の二種類があって、合計
「36種類」
になるそうな。
しかし、さらに、過去、現在、未来と3つあるために、3倍して
「108」
となすようですね。
上の6つの体の部位ですが、これを称して
「六根」
と言います。
この六根には、それぞれに上に書いたような煩悩が、配されているという、仏教の理論です。(上記表)
しかも、それには
「過去、現在、未来」
がある。
なので、3倍して
「108の煩悩」
なんだな~~
眼で見たものがなんで煩悩になるんだ?
ここで、例ですが、人間は目で見たものに対して、絵なら
「奇麗」「下手」「普通」
などの感情をもつはず。
これが、上で言う
「良、悪、平」
で、そこで以前に見たものと比較して、現在のものとこの先にはもっといいもの・・など
「過去、現在、未来」
を考えるんだそうな・・これで6になります‥って、確かにそうだな~~と思いましたね。
これは、六根の部位、すべてに言えるんだそうな。
これは、語源や由来が楽しみです。
百八煩悩の語源の由来や歴史は?
「百八煩悩」
の語源や由来について、どんな所から発生した四字熟語か、すごく興味がありました。
どうやら、調べるにつけ、これは仏教の基本の考え方のようですね。
上に紹介した
「108の煩悩」
が人間にあって、その煩悩を振り払って、自由な解脱した状態になるために
「仏教」
があるという、私の結論です。
いわば、人間が煩悩の苦しみから、抜け出すために仏教があるという、そんな基本的な考えが、由来になってるようです。
お釈迦様は、その108の煩悩から抜け出し
「解脱」
した存在・・と言うことのようですね。
この解脱とは、人間の108の煩悩(欲)に縛られた状態からの、開放を意味するようです。
人間には、いろんな悩みがあります。
それは、上記で言うところの
「六根」
に由来しているようですが、その悩み・・煩悩から解き放たれて自由になりたい・・誰でもそう思ってるのかもしれません。
その悩みを、解離する手段としての仏教は、やはり宗教と言うのは、そのためにあるのかな~~など思った次第です。
お釈迦様の時代から、こういう考えがあったのですから、歴史と言うのはなにおかいわんやで・・
考えるも、ちょっと失礼に感じました。
*超、簡単に考えてみました。
百八煩悩の使い方の場面や経験から考えた例文は?
さて・・使い方の場面ですが、この百八煩悩を使う場面って、どんな時でしょうか?
ちょっと、考えますね~~
でも、やはり悩んで答えが出ないとき・・あるいは、回答が見つかった時なのかな~~と思います・
百八煩悩の使い方を考えた例文を考えてみた!
私なりに、人生の経験から作成した例文は以下です。
1:人生ってなんだ?百八煩悩から逃れられない自分に、どうしたらいいのか?でも、これが人生なんだと思う。
2:仕事の方向性と言うか、自分がどう生きたらいいのか?百八煩悩とはよく言ったものだな~~
3:人生の選択肢で、仕事は生きていくための方策で、最も重要だな。百八煩悩と言うたとえもあるように、ここはじっくりと選択肢を広げたいな。
4:除夜の鐘を聞いていると、百八煩悩の一つ一つが、まるで解放されるような気分になるな~~
5:百八煩悩があるゆえに、之こそが人間らしいのかもしれない。いずれお釈迦様でもなければ、煩悩のない人っているだろうか?
などなど・・やはり悩みは尽きないですね。
私なんざ~~四六時中、24時間煩悩のようなものです。
でも、その中でも生きがいを持って生きていこうと、努力しているつもりなんだ。
実際は、自分を慰めているような、そんなもんですが。
百八煩悩の類義語にはどんなものが?
「百八煩悩」
の類義語は・・と思って、いろいろ探したのですが、なかなか合うようなものがありません。
唯一・・意味を介しながら、之かな~~が
「四苦八苦」
と言う言葉。
これも、始まりは仏教の言葉で、本来の意味はなかなかできなくて苦労・・と言うことではなく
「人間の8種の苦しみ」
と言う意味を説いたんだそうな。
この8種類は
- 1:生
2:老
3:病
4:死
5:愛別離苦
6:怨憎会苦
7:求不得苦
8:五蘊盛苦
と言う、なんか百八煩悩と似てきます。
元々の、意味がはるかに煩悩に近いこの
「四苦八苦」
が類語に近いな==が、私の印象でした。
百八煩悩を英語で表現するとどうなる?
では、いつものように検索で
百八煩悩:One hundred and eight worldly desires
う~~ん
これ、そのまんまですね。
多分これでしっくりくるような気が、私はします。
ほかには
the 108 kleshas
the 108 afflictions
これでもいいんですね。
なるほど~~です。
People have worldly passions which lead them into delusions and sufferings.
(人には迷いと苦しもの元になる煩悩がある)
などなど・・
英語て、やっぱしムズイな~~
チョイと苦手です。
百八煩悩だらけの人生かな‥私の人生の現時点までの感想!
「百八煩悩」
と聞いたときに、すぐに頭に浮かんだのは除夜の鐘の数。
108回着きますから、やはりこの108と関係あるのかなと思っていました。
この「百八煩悩」は、まだまだ奥が深くて、この六根含めていろんな奥深い理論があるようです。
一応簡単に書いてみたのですが、まだまだ書ききれませんが、こんな程度で。
人間は情報を集めるのに、全てが体の部位から集めるようになります。
目で見たこと、耳で聞いたこと、言葉から感じたことなどなど。
煩悩がある人って・・ではダメ?
いえいえ、私が思うにない方がおかしいと思います。
悩みがあって、煩わしいことがあって、嫌なことがあって、もっとしたいことがあって、もっと欲しいものがある。
これって普通の考え方ですよね。
私も普通にそう思って、暮らしています。
こういったブログを綴ることでさえ、その煩悩から逃れるためにやっているのかもしれませんし、何かを目的にして達成感を得るために、やっているのかも知れません。
あるいは働くにしても、生活の為でもあるし、もっと良い生活がしたいし、もっとお金が欲しい、欲しいものを買うためかもしれません。
これがなくなってしまったらどうなるでしょうか?
そんな理論にはならないかもしれませんが、究極煩悩がないと言う事は欲がない?
なんて言ったら終わってしまうか?
この話は尽きないのでこの辺で。
皆さんはこの煩悩についてどう思いますか?