清濁併せ呑むとはどんな意味でしょうか?
使い方や例文を考えてみました。
また由来や類語(同義語)や英語での表記や表現も、合わせて考えてみたので紹介します。
仕事やビジネスシーンでは、結構このことわざは、当てはまることが多いように思いますが、さて?
清濁併せ呑むの意味は?
「清濁併せ呑む」
意味は以下のようです。
「清濁併せ呑むとは、善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れる度量の大きさを表すたとえ。」
「清濁」
とは、善と悪、または善人と悪人のたとえ。
さらに、賢者と愚者のたとえのようです。
- 合わせ:併せ
飲む:呑む
上の、併せと呑むもいい感じの表記だと思います。
これは、食べ物ではないですから、こんな表記の漢字になるのかな~~などと、自分で勝手に考えました。
意味解説では
「大海は、川の流れを受け入れてますが、之には清流も濁流もあるわけですが、これを分け隔てなく受け入れてることから、心の広い人のことのたとえ。」
さらには
この大海は、清流も濁流も分け隔てなく受け入れている。
この大海が人なんだと思います。
勿論、対象は人ですが、歴史上にはどんな方がいるかな~~
今悪人を受け入れたら、逮捕されるんでないかな~~なんて考えたが、そういうことでもないのかな‥多分。
清濁併せ呑むの由来や類義語は?
由来を、調べてみました。
どうやら、私が思うに一番最初にこの「清濁」が出てくるのは「史記」の言葉のように思います。
清濁併せ呑むの由来は?
司馬遷が記した「史記」の列伝第六十二「酷吏列伝」
「法令は治の具にして、治の清濁を制するの源に非ず。」
と言うのがあります。
が・・一番最初にこの
「治の清濁を制するの源に非ず。」
を論じたのは、どうやら「孔子」のように思うのですが、さて?
孔子の言葉、に同じ言葉が出てくるようです。
史記は、いろんな有名人のことを、まとめた書物のようなので、孔子の言葉を引用したのかもしれません。
真実はどうなんでしょうか?
これはロマンに感じます。
ただ、史記に書かれているのは、法律のことを評論したようなので、人物を評するのとはちょっと違うかな~~とも思います。
この
- 「酷吏(こくり)」:冤罪など汚れ仕事の役人:当時は出世した
「循吏(じゅんり)」:法律に厳格な正しい役人
この「酷吏(こくり)」を論じてるわけです。
当時は、この悪人の役人の「酷吏(こくり)」と言われて、史記に指名された方でも、どんどん出世したわけです。
特に、漢の武帝時代には重用されたとあります。
重用した上司(帝)は、心が広い方だった?
さてな~~~
みなさんはどうおもいますか~~~?
清濁併せ呑むの使い方や例文を考えてみた!
例文や、使い方の場面を考えてみました。
「清濁併せ呑む」
は、心の広い大きな方のイメージですから、そういう方に出会った、またはそういう人になりたい・・そんな場面での使い方が妥当なような気がします。
清濁併せ呑むの例文は?
以下のように作ってみました。
- 1:うちの部長の、会議での取りまとめは見事だな~~陰も陽も飲み込む、まさに清濁併せ呑むとはこのことか。
2:人間だから、いい人間も悪い人間もいる。それを承知で人員確保していかないとこの人手不足・まずは採用・そして選別・・清濁併せ呑むなんて言ってられないんだ・・現実は!
3:友人の中ではAは、出世しそうだな~~どんなことにも答えを持ってるもんな~~まさに清濁併せ呑む人になりそうだ。
4:あいつは偏見に満ちている・清濁併せ呑むなんて考えには、最も遠く離れてるやつだ!
5:すべての人が清濁併せ呑むという、心構えならこの世から争いごとは消えるかもしれないな~~
などなど・・
少しくらい、ピント外れてもお許しあれ。
でも、私の周辺にいた人や、実際に感じるままに書いてみました。
もしかしたら、同感してくれる方も多いかな~~なんて持ったりします。
清濁併せ呑むを英語で表現すると?
では、検索で・・
清濁併せ呑む:Drink together with the voice
う~~ん・・やはり:drink ですね~~
でも、「voice」って、声だな。
他の例文ですが
- to be broad-minded enough to associate with various types of people
- be broad‐minded enough to show tolerance toward all sorts of men
これは両方ともに「清濁併せ呑む」です。
とても難しいです。
私には、この文章は活用も作ることもできませんです・・ハイ・・
こういう英文を、作れる方・・スバラスイ・
清濁併せ呑むに感じる人格と感想!
「清濁併せ呑む」
この言葉のように、大きな大海のような器の大きな方は、これまで生きてきていたか?
さて?
よくビジネスシーンで、使われるようですが、ビジネスって基本損得が絡みますから、ある意味正しくって、この損得が入るとちょっと違うかな~~っても思うんだな。
例えば親子関係でいえば、私は父親で孫はいますが、これは
「清濁併せ呑む」
ということ以前に、どんな子や孫であっても自分の肉親ですから、そこは受け入れて呑まないといけないわけです。
「親父はどんな子でも孫でも、一族全員に分け隔てなく、ちょっと外れたやつも・・あいつもいい所があるんだよ・と言ってまさに清濁併せ呑む・そんな心の広い人間だったな~~」
なんて、いう親父はどうでしょうか?
ビジネスの損得抜きでの、会社内での人間関係に特化すれば、やはり人を引き付ける魅力のある方は、どちらかというと「清濁併せ呑む」を、地で行くような方ではないかな~~なんても思います。
そこまでいかなくとも、人望はやはりその言葉の片りんを感じさせるかもしれません。
歴史上の人物で清濁併せ呑む方と言えば・・
さて??
誰かな~~~
立派な方はたくさんいますが、歴史上の人物とて、排除の論理が先行する場合もありますからね~~
しいて言えば・・「山本五十六」長官かな~~
作戦の不手際により、負けた司令官を排除しなかった・・人を教育する名人と言われた方ですね。
あとは思いつきません。
歴史上なら・・という意味です。
皆さんの、近隣ではいかがですか?
いますか?