明鏡止水(めいきょうしすい)とは? 意味は、邪念がなく澄み切った心境のたとえ。
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明鏡 | 曇りのない、よく映る鏡 |
止水 | とどまって流れない水。澄みきった心のたとえ |
この二つで一つの四字熟語
「明鏡止水」
を表しています。
が・・なかなかこれの心境には、なれないな~~が実感。
明鏡止水の語源は「荘子・内篇」の「徳充符篇」に由来!
「明鏡止水」の由来について
- ・荘子とはどんな方?
・由来となった漢文での原文紹介
について解説。
「明鏡止水」の語源になった「荘子」とはどんな方?
「荘子」
は以下のような方。
荘子(そうし、紀元前369年頃 – 紀元前286年頃)は、中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に生まれた思想家で、『荘子』(そうじ)の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。
(wikipediaより)
また作風についてはこんな説明もあります。
荘子の思想はあるがままの無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うものである。
(wikipediaより)
確かに。
そういう思想があってこそ
「明鏡止水」
が生まれたんですね。
「明鏡止水」は「荘子・内篇」の「徳充符篇」にどう書かれているか原文で!
「明鏡止水」
の語源は、それぞれに「徳充符篇」の中で別に書かれています。
- 「仲尼曰、人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止。」
「鑑明則塵垢不止,止則不明也。」
この二句よりの出典に由来。
以下解説。
「明鏡」の漢文原文と内容!
内容は、片足の「申徒嘉」と、宰相の「子産」と言う、二人の問答。
二人は、同じ先生のもとで学んでいました。
宰相の「子産」が平民の、しかも片足の「申徒嘉」に
「なぜ宰相である私を慕わないのか?」
そういう問いかけに「子産」は
「鏡はよく磨かれていれば塵や垢がつくことはないが、その鏡が、汚れていれば塵や垢がついて曇るは当然、それゆえに物事がはっきりと見えなくなる。立派な方(先生)と一緒に過ごしていれば、磨かれて過ちを犯さなくなる。」
と言う、そんな言葉が。
つまり、宰相であるという、上の立場にあるという傲慢な気持ちを、鏡についたホコリや、塵に例えたわけです。
なので「明鏡」は、そういった傲慢な気持ちのない、澄んだ心を指す言葉になりました。
原文は以下。
鑑明則塵垢不止,止則不明也。
なるほど~~です。
「止水」の漢文原文と内容!
孔子が弟子の「常季」と話し合っている場面。
「王駘」と言う、足のないものの所に多くの弟子が学びに。
そのことを孔子に
「なぜ、足のない「王駘」の所に、たくさんの弟子が集まるのですか?」
と問うたら、孔子曰く
「人は流れる水ではなく、止まった水を鏡として使う」
「王駘」は止まった水のように、穏やかな心を持っている。なので人が集まるのだ。」
決して時代に流されない、穏やかな心。
なるほど~~ですね。
原文は以下。
「仲尼曰、人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止。」
なるほど~~に感じます。
明鏡止水の使い方を場面と例文と会話例で!
この章では
- ・明鏡止水を使う場面。
・使い方を短文の例文で。
・明鏡止水を用いた会話例。
を解説します。
明鏡止水を使う場面は?
「明鏡止水」
を使う場面は
➀:イライラ感
➁:困ったとき
➂:冷静な判断を求められる時
などなど・・
以下に具体的な場面を考えてみました。
場面➀ | ビジネス(仕事)で混乱した時一旦冷静に・・ |
場面➁ | 友人や上司など人間関係での悩みに一度リセット |
場面➂ | 壁に当たったときに邪念を払ってみる |
場面➃ | 悩み煩悩のすべてを払しょくしたい |
場面➄ | 隙はどこにある? |
などなど。
人間は必ず悩んで壁に当たる場面は、どうしたってあるもの。
その時に、考え方をいったん整理するのに
「明鏡止水」
という考え方は、すごく有効に感じます。
「明鏡止水」の使い方を短文の例文で!
以下の例文で。
例文➀ | 新年三が日は「明鏡止水」の気持ちで、先の一年の人生を考えてみたい。 |
例文➁ | 人間関係も「明鏡止水」の気持ちになれば、見えてくるものがあるな。 |
例文➂ | 定年してどう過ごすか?「明鏡止水」で邪念を払い先の人生を考えてみる。 |
例文➃ | 常に「明鏡止水」の気持ちでいるなんて、人間である以上は無理なことだ。 |
例文➄ | 「明鏡止水」で邪念を払えば、おのずと解決策は見えてくる。 |
例文⑥ | 利害関係があると、明鏡止水と言う言葉は空虚に聞こえる。 |
一度目をつぶって
「明鏡止水」
イメージして、頭の中を空にして心を落ち着かせてみましょう。
が・・実際、あれこれ考えてしまうな~~
皆さんは如何ですか?
「明鏡止水」を使った会話例!
以下の会話例で。
[speech_balloon_left1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]定年したら「明鏡止水」のように生きられるかな?[/speech_balloon_left1]
[speech_balloon_right1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]なにそれ?お父さんには無理無理・・。[/speech_balloon_right1]
[speech_balloon_left1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]そうか‥俺は邪念ばかりで考え方がよこしまだからな。[/speech_balloon_left1]
[speech_balloon_right1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]んだ。嘘だと思うんだったら、裏の池の水表に鯉と一緒に自分の顔を写してみたら?。[/speech_balloon_right1]
ひどいもんです‥こんなもの。
が・・池の水面に自分の顔を写してみたら、どう映るかな?
エサ貰うと思って、鯉は寄ってくるけど。
明鏡止水の類義語(類語)と言い換えは「虚心坦懐」!
「明鏡止水」
の類語は以下。
虚心坦懐 | 心になんのわだかまりもなくさっぱりしてる |
光風霽月 | 心が澄み切って男のわだかまりもない様子 |
心頭滅却 | 雑念を排し集中すれば日の中でも涼しい |
枯淡虚静 | 心にわだかまるところがなく、落ち着いている |
言い替え | 虚心坦懐 |
言い換えは
にしておきます。
いい言葉です。
多くの場面で、置き換えとして機能すると思います。
明鏡止水の反対語(対義語)は!
「明鏡止水」
の反対語を考えてみました。
澄み切ったなんの邪念もない心境ですから、その逆なら
「疑念(邪念)だらけ」
ですね。
疑いの気持ちがふつふつと・・
ならば
「疑心暗鬼」
が適当に思います。
疑いが深いと、あらぬ妄想にとらわれます。
反対語として機能すると思います。
関連記事
明鏡止水を英語で表現!
「明鏡止水」
試しに検索で。
明鏡止水:light mirror stop water
う~~んこうなりますね。
他の英訳で。
- 1:clear and serene
2:as a polished mirror and still water
これはやはり、1番だな‥私の中では。
a stable and clear state of mind
(明鏡止水の心境だ)
His mind is clear as a mirror and pellucid as a lake.
(心は明鏡止水のごとし)
こういった「四字熟語」の英語訳って、表現するのはすごいな~~って思います。
いつも感心します。
明鏡止水のいい話!感想とまとめ!
「明鏡止水」
の上の内容を、以下の表にまとめてみました。
➀:意味 | 邪念がなく澄み切った心境のたとえ。 |
➁:語源と由来 | 「荘子・内篇」の「徳充符篇」に由来 |
➂:使う場面 | 心の整理を促すとき・他 |
➃:使い方を例文で | 定年してどう過ごすか?「明鏡止水」の気持ちで邪念を払い先の人生を考えてみる。 |
➄:類語 | 虚心坦懐・心頭滅却・光風霽月・他 |
⑥:言い替え | 虚心坦懐 |
⑦:反対語 | 「疑心暗鬼」 |
⑧:英語表現 | a stable and clear state of mind |
意味のおさらいです。
曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態をいう。
(デジタル大辞泉)
こういう気持ちでいたいものだと思います。
が‥現実はさにあらず!
ですね。
人間関係や、仕事(ビジネス)が上手くいかず悩み、果ては自分のミスを人のせいにしたり。
被害妄想めいて、どんどん気持ちが落ち込んでいく。
そんな時のための
「明鏡止水」
かもしれません。
「明鏡止水」に思う「黒田如水」のお話!私の人生!
「明鏡止水」
と言えば、戦国武将の黒田官兵衛をイメージします。
但し、黒田官兵衛は
「明鏡止水」
ではなく
「黒田如水」
です。
流れる水のごとく、その流れに逆らわずです。
意味は、全く違います。
時代の流れに逆らっても、全く上手くいかないもの。
時代はどっちに向いているのか?
逆らわない生き方。
元々は「老子」に由来しますが以下。
「上善如水、水善利万物而不争、居衆人之所悪」
理想的な生き方とは水のようなもので、万物の利となり争わず、人の嫌う所へ流れる。
そんな意味。
「人の嫌う所に流れる」
とは、素晴らしい表現。
「水のように生きる」
私も試して見たい気分。
でも無理そ・・そんな大それた気分には程遠く感じますから。
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*ヘッダーの写真は愛機「x-t4」で撮影した冬の庭の南天です。