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仏の顔も三度までとは 意味と使い方を例文で!語源の由来と英語表現!

仏の顔も三度までとは?
意味は、どんなに穏やかな人でも、失礼を三度も(たびたび)繰り返されたら怒り出すという例え。
使い方を短文の例文と会話例の作成で!
「仏の顔も三度まで」語源と由来のお話を解説。
類語や言い換え、反対語(対義語)と英語表現を通して、このことわざの深い意味を理解していきます。

 

仏の顔も三度までとは?意味を詳しく解説!

 

「仏の顔も三度まで」
読み方は、「ほとけのかおもさんどまで」です。
意味は以下のような解説です。

どんなに穏やかな人でも、面と向かって顔をなでるような失礼なことを三度も繰り返されては怒りだす。これまで大目に見てきたことも、度重なればただではすまないというたとえ。
(ことわざを知る辞典)
どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされればしまいには怒る。
(日本国語大辞典)

「どんな温厚な、温和な方でも、無礼を何度か繰り返せば、腹を立てる」

そんな意味ですが、この場合の

温厚な人:仏
三度まで:無礼な人

を表しています。
江戸時代には「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」と言われたようですが、これが短くなって
「仏の顔も三度まで」
となったようですね。

仏の顔は三度までとは?なんで三度だ?

「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」
と、当初言われてますが、これを見ると
「三度目」
で、腹を立てています。
したがって、二度までは許すが三度目はないが正解。

一回サービス??

いえいえ・・そうではなさそうですが、省略された箇所が

「仏の顔も三度(撫ずれば腹立つ)」

かっこの部分が省略されて、「まで」がついてしまったそうな。
本来はなかったんですね。
しかしながら、これ三度まで許して、四回目は無いで正しいようです。
なので本来は

「仏の顔も三度」

が元で正しい。

その辺は語源と由来のお話を参考に。

 

仏の顔も三度までの語源と由来のお話!

 

語源は「お釈迦さま」のお話。
「お釈迦さま」
は、釈迦の国の王子として生まれました。
隣国に「コーサラ国」というのがありますが、そこの国とのやり取りが、語源というか、由来になっています。

釈迦国とコーサラ国の間の出兵の争いが由来!

ある日「コーサラ国」から、身分の高い女性を嫁がせてほしい・・そんな依頼が。
問題は「王妃」に迎える女性ですが、いつも武力を持ち出す、「コーサラ国」を快く思っていなかった「釈迦国」は、それに従わず身分の低い女性を送ったと。
ほどなく、その王妃に王子が誕生。
しかし、王妃の身分がばれてしまった。

王子は、身分が低い王妃から生まれたことで、周囲から差別的な扱いを受けるように。
そこで、その王子が王位を継承して、王になったときに「釈迦国」の大軍を率いて、攻め込んだ。

が・・お釈迦様が進軍の途中で現れて、進軍をやめるように諭し、退却。
これを三度繰り返したのです。
しかし、四度目には、これは「因縁」であると、お釈迦様がさとり、兵を阻止しなかったため「釈迦国」は滅亡。

ここまでが、「仏の顔も三度まで」の由来なのですが、この話には続きが。

滅ぼされたのですが、「お釈迦様」は予言。
「7日後にヴィドゥーダバとその軍隊は死ぬだろう」
ヴィドゥーダバ:コーサラ国の王

で・・どうなった?
お釈迦様の予言は、外れません。
増水した川で、彼らは帰らぬ人に。

「仏の顔も三度まで」
の由来の、このお話は三度までは、説得。
四度目で、お釈迦様は怒った?
いえいえ・・怒ってなんかいないんです。
因縁(宿縁)を感じて、止めなかっただけ。

元々は、身分の高い情勢を欲したのに、身分の低い女性を送ったのですから。

しかしながら、江戸時代に

「仏の顔も三度撫(な)ずれば腹を立つ」

が使われるようになり、上で紹介したように、短くなって省略されて
「仏の顔も三度まで」
の「まで」が、追加されたと。
三度まで許せて、四度目が因縁だったという、由来に沿っていると思います。

逆に思うに(個人的に)、許したのは相手の「ヴィドゥーダバ:コーサラ国の王」であって、四度目は許さずに「釈迦国」を滅ぼしたのでは?
結果的に、そうも取れるのでは?

などと、これは個人的な感想ですが、そう思った次第。
なぜなら、お釈迦様は怒ってないのです。

 

仏の顔も三度までを使う場面を考えてみた!

 

「仏の顔も三度まで」
を使う場面は、相手とこちらで印象が違うかもしれません。
が、多くは怒った側が主役かと。

  • 1:何度も騙される(嘘をつく)
    2:調子がいい
    3:信用力に難ありの人
    4:わざと何度までか試す人

などなど・・
4番ですが、こういう方たま~~にいますね。
皆さんの周囲にはいませんか?
私は、相手にしないことにしています。(もちろん、話は当然受け流しますが)

 

仏の顔も三度までの使い方を短文の例文の作成で!

 

以下のように短文での例文を、作成してみました。

1:カード破産での無心も、「仏の顔も三度まで」というから、これ以上は応じられない。それより、どうなるんだ?
2:部長は、まるでお釈迦様のように面倒見がいいけど、「仏の顔も三度まで」というから、いつかは切れるんでない?いい加減にした方が身のためかと。(同僚に)
3:おふくろさんは、いつもニコニコで「仏の顔も三度まで」というけど、何度迷惑かけても、慈悲深さを感じるな~~感謝するよ!
4:いくら仲のいい友達でも、迷惑かけると「仏の顔も三度まで」というから、それなりの気遣いって、普段から持っていないと、真の友人関係は難しいな。
5:ある方の不義密通は、夫婦の間では「仏の顔も三度まで」というけど、一度で一発退場の場合も、どうやらありそうだ。

などなど。
簡単ですが、短文での例文を、私の周辺での、実際のお話や感じたことを、使い方の参考に作成した見ました。
親子に、このことわざが適合するかは、ちょっと敷居が下がるような気もしますが、年を取るたびに、仏様に見えてきます。

仏の顔も三度までの会話例!

以下の会話で。

[speech_balloon_left1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]先輩、きょう部長が会議でAの事、かなり怒ってましたね。何でですか?[/speech_balloon_left1]

[speech_balloon_right1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]そりゃ~~そうさ。A君は何度も部長から目をかけてもらってるのに、恩をあだで返してるからさ![/speech_balloon_right1]

[speech_balloon_left1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]仏の顔も三度までって事っすか?[/speech_balloon_left1]

[speech_balloon_right1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]まあ~そんなところだな。部長に言われたことはチャンスなんだ。お前も気をつけろよ![/speech_balloon_right1]

なんてことがあったな~~ずいぶん以前ですが。
皆さんの会社では、こんなことありませんか?

 

仏の顔も三度までの類義語(類語)や言い換えはどんな言葉が?

 

仏の顔も三度までの類義語(類語)は以下。

  • 1:地蔵の顔も三度
    2:無理は三度
    3:兎も七日なぶればかみつく
    4:感に袋の緒が切れる

などなど・・こちらの類語には、ことわざが多いですね。
言い換えとして適当だな~~と思うのは
「無理は三度」
にしておきます。(私の場合)
どれもいいな~~とは思うのですが、いろんな場面で適合しそうです。

 

仏の顔も三度までの反対語(対義語)にはどんな言葉が?

 

仏の顔も三度までの反対語(対義語)を考えてみました。
これは最初から、仏ではないんだな‥閻魔大王かも。
よくよく考えると、この反対は難しいですね~一筋縄ではいかないように感じます。

「仏の顔も三度まで」
の意味は、「人が寛容になれるのも限度がある」という意味。
ならば、反対ならば、寛容になれるんですね~~何度でも。

そう解釈したらどうかな?
そう思った次第。

「捨てる神あれば拾う神あり」
「渡る世間に鬼は無い」

これは近いように思うのですが、如何でしょうか?

ちなみに「阿弥陀仏」という仏様は、何度でも許してくれる「慈悲」の仏様として知られます。
大罪人でも、どんな無礼な人でも、怒ることはなく何度でも許してくれる、絶対に見捨てない仏様として知られます。
此方も、三度までで見切りをつける意味とは、また対極にあるように感じます。

*しばらく考えてみたり、ネットで検索してみたり・・悩みましたが、私は上の結論に達しました。
難しかったです。
自信がありませんが、私の意見として参考までに。

・・・・・・・・・
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意味や使い方を例文で。
由来のお話はとても興味深かったです。
・・・・・・・

 

仏の顔も三度までを英語で表現!

 

「仏の顔も三度まで」
を英語で表現すると、以下の内容になります。

1:He can forgive you twice, but there is no third chance.
(彼はあなたの事を二度赦せるが三度目はない)

2:To try the patience of a saint.
(聖人の忍耐を試す)
3:You can only go so far.
(そこまでなら行ける)

(DMM英語)

2番の例文は、英語圏のことわざで、日本での
「仏の顔も三度まで」
に相当することわざとして、知られています。

1番は、より具体的で素晴らしいな~~と思いました。

 

仏の顔も三度までいい話!感想とまとめ!

 

「仏の顔も三度まで」
の意味と、語源や由来を紹介しながら、類語や反対語の検討、英語表現を見てきました。
一般的なことわざで、広く知られていると、私は認識していますが、新しい気付きもあって、とても勉強になりました。
意味のおさらいです。

どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされればしまいには怒る。
(日本国語大辞典)

回数はどうでも、簡単に表現すれば
「人が寛容になれるのも限度がある」
という意味です。

当然ですね。
しかしながら、由来のお話では、決してそうではなかったような。

  • 「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」
    「仏の顔も三度」
    「仏の顔も三度まで」

最後に、までがついて今の形に。
由来を見るとやはり
「三度まで」
で、四回目は無かったんですね~

これはちょっと深い意味だな~~と感じた次第!

仏の顔も三度までのいいお話!

いつも経験上の、悪い話ばかりなので、最近は良い話をここで書くようにしています。
「仏の顔も三度まで」
の良い話・・って‥あんま無いな‥では話し終わるので。

自分は何度まで許せるか?

そう考えたら、許す相手によって違うかな?
そんなことを考えてみました。
例えば、子の失敗を何度まで・・これは何度でも許すかもしれません。
が、勿論諫めることはしますが、心の中では、元は私の分身なら、責任があるな~~と。

妻なら?

これも同じかな…たぶん。

親なら・・これは困った。
結論付けられないな。

他人なら?

これはやはり、一度~三度までの間で可変。
一度で見切りをつける相手と、三度まで延長する相手と、これは相手によるかと。

ただ、思うに自分よりも目下の相手に対しては、できるだけ「寛容」でありたいとは思う。

皆さんはこの辺如何ですか~~~?

・・・・・・・・・・・・
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勢いを増すことですが、語源となったお話も興味深く。

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物事も入ります。
なかなか興味深い言葉でした。
・・・・・・・・・・
*ヘッダーの写真は、私が撮影した世界遺産奥州平泉の毛越寺の紅葉時の秋の写真です。

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