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源頼朝が愛した女性!島津家の祖は鎌倉殿!政子が嫉妬する御落胤説!

源頼朝の正室側室の有力は六人。
名前と出身を詳しく。
  • ・最初の妻は三の前?
    ・北条政子の嫉妬に周囲は恐れた?
    ・政子の嫉妬をかいくぐった方法。
    ・島津と大友氏は頼朝が祖!(?)。

[speech_balloon_left1 user_image_url=”https://kotobaimi.jp/wp-content/themes/be_tcd076/img/no-avatar.png” user_name=””]現代なら恐妻家の典型に思える頼朝公![/speech_balloon_left1]

 

伊藤祐親の娘三の前!子は千鶴御前!

「平治の乱」
で、父「義朝」は平清盛に敗れて、非業の最後。
「頼朝」
は、一命を許されて、伊豆に配流。
そこで、預けられた先が
「伊藤祐親」
ですが、あろうことか、その三女の
「三の前」(八重姫)
と・・いい仲・・というか、どうやらこの「頼朝」という方は、「失恋」という概念は、無かったようです。
この時代はそうだったのでしょうか?

「伊藤祐親」
が京都に、出張の3年間の間に、子供もできて。
「千鶴御前」
は、非業の最後で、「三の前」は、怒った父親の
「伊藤祐親」
が他にさっさと嫁がせた。
残念な「頼朝」
でした。

北条政子は時政の娘で「正室」も嫉妬心はピカ一!

2番目が、正室の
「北条政子」

「政子」
は「北条時政」の長女。
弟は「義時」です。
此方も「時政」が京都に赴任中に、互いにできてしまった。
しかし、ちょっと違うのは「政子」は本気度が違う。
親勝りの、気丈な女性だった。

ある意味、源氏の再興を狙う「頼朝」と、この野心が一致した。
そういった方がいいかと。
半ば、駆け落ち状態に「時政」も観念して、結婚を認めるのだったが、それでも「頼朝」の、女性好きは、益々燃え上がるんだな。

何せ、京都育ちですから。
父「義朝」も側室は何人もいましたからね~~。

政子も認めた側室の亀の前!桁違いの嫉妬心発揮の政子!


「亀の前」
は、もしかしたら「頼朝」の大のお気に入りだったかも。
「亀の前」
と、いい仲になったときは、「政子」は長男の「頼家」を妊娠中。
なんか、日本の芸能界(政界だっけか?)でもよく聞くお話のような・・

「亀の前」
の出自は「良橋太郎」の娘とあります。
流刑中からの「よしみ」で、逢瀬を重ねてるうちに、足しげくなっていくんだな。
匿った先は、部下の「伏見広綱」の屋敷・

無事出産を終えて、帰宅した「政子」はその、愛妾のもとに足しげく通う「亭主」の姿に、嫉妬心がメラメラ!
そして「爆発!」

そして、その匿った先の「伏見」邸を破壊。
一部には火をつけたとも(?)・・そこまでやるんですね~女性の嫉妬心は怖いですよ~~。
しかし、亀の前は、そのまんま。
とも、その後消息は取れず・・とも、どうなったのかな?

人妻も関係なしの「頼朝」が初の屈辱!義平の元妻!

「源義平」
は、源氏一門。
その妻は「新田義重」の娘。
恐らく、頼朝にとっては、初の失恋という屈辱。

しかも、こちらは兄弟。
父「義朝」は「三浦義明」の娘に産ませた、れっきとした異母兄弟。
その妻と言うから、これも驚きで、なんと節操のない。
しかし、この妻の方、何せこちらも名門
「新田氏」
の出。
にべもなく、「頼朝」の恋を振ったそうな。
男のプライドをズタズタにされた「頼朝」はなんと~~実家の

「新田義重」

を、源氏一門から追放・・とはいっても、紆余曲折あったようです。(冷遇されたようです)
何せ、新田氏は「八幡太郎義家」からの家系!
未亡人となっていた娘は「祥寿姫」と言うようですね。

*このお話は諸説あるようです。
人妻という割には、その時は未亡人。
義平は20歳で、京都で最期を迎えたので。

島津氏の祖の母は「丹後の局」!頼朝の御落胤説!


「丹後の局」
は、のちに滅亡した、比企判官能員の妹と言われます。
「頼朝」
に仕えていたとあります。
そののちに、寵愛を受けるように。
が・・しかし・・亀の前同様に「政子」の嫉妬心がメラメラ!

それを恐れて、京都に逃亡・・というか、匿ったのだと思います。
そののちに、出産。
めでたく「男児」が誕生。
名前を
「忠久」
と言います。

「惟宗 広言(これむね の ひろこと)」

この方が、父(養父)と言う記載が「wikioedia」にあるので、この方に養子に入れたのだと思います。
その後、当然ですが「頼朝」の庇護のもと、薩摩藩島津荘の地頭職で

「島津忠久」

と改名し、名門島津氏の祖になります。
スカスだ・・
源氏の「源」姓がなくても、鎌倉殿が絶える前に、こちらの筋もあったんですね~~
これは、驚きです。

大進の局は伊達の祖の家柄の出と言う説!

「大信の局」
は、鎌倉幕府の事務どころの「大倉御所」に使える女官(女房)でした。
出自は父が鎌倉幕府の御家人「常陸入道念西」と言われます。
とすると、この方は「源為義」の娘の子となるので、頼朝とは従兄弟ということに。

しかも、この説が正しいとなると、「常陸入道念西」は
「伊達朝宗」
という方で、奥州伊達政宗を輩出する祖の方。
が・・これには諸説あるようですが、ロマンということで。

「大倉御所」
に出仕しながら「頼朝」の寵愛を受けたわけです。

1186年2月26日、男子・亀王丸(貞暁)を出産。
その年に、政子は次女・三幡(さんまん)を生んでいますが、これも実に面白くない。
何せ、出産期がダブルということは、それなりの創造が。
嫉妬がメラメラと・・その後、子は京都の寺に出家。

「大信の局」
も、京都に移住したとあります。

その後、子は紆余曲折の末に、高野山で貞暁(じょうぎょう)と名乗り、源氏の菩提を弔っています。

利根の局の子「大友能直」は九州大友宗麟の祖!


こちらも、ご落胤説です。
側室の名は「利根の局」といいます。
出自は波多野経家の三女と言われます。
上野国利根荘の出身ということで、おそらくは
「利根の局」
と称したのかもしれません。

頼朝との接点は、伊豆・蛭ケ小島で配流の際に、侍女として使えていたと。
その時の子かどうかは、これもまた謎なのですが、政子の逆鱗が怖くて、利根の局の姉の夫である
「中原親能」
に預けられたと。
そこで、1173年に生まれたのが
「大友能直」
と言われます。
しかし、生まれてすぐに「中原親能」の養子に。

その後、頼朝の庇護を受けて、大きく九州を地盤に成長することに。

*大友氏の系図では能直を頼朝の庶子としているようですが、諸説あります。(これも歴史浪漫ですね~~)
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鎌倉殿の背景の、重要な役割を果たした武将を、思いつくままにまとめてみました。

鎌倉殿の源氏と平家の相関から見る武将の系図と家系図!子孫その後!

奥州藤原氏の、源平合戦時の「源義経」を匿った、有名な方。
もう少し、長生きしたらもしかしたら、歴史は変わっていたかもしれません。

藤原秀衡の系図と家系図と子孫その後!源義経との関係と平泉金色堂!

源義経の家系図と、奥州平泉のゆかりの地を写真で解説。

源義経の家系図と頼朝との関係!正室と静御前と子供と活躍の年表!

写真は私の撮影です。
胴塚は初めて行きました。
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北条政子の嫉妬深さも何のそのの手口!

ここまで書いてきましたが、どうやら一貫している手口は以下に、私は感じます。

職場恋愛
恋文で勧誘
基本失敗(振られた)はない。降られたら、父親を冷遇
バレそうになったら他へ移す(京都が定番)
落胤は、領地(地頭)で優遇

なぜ京都?
これは、京都には何度も行ってますから、多分出張が多いんだな。(上洛と言うやつですね)
その先での「逢瀬」が目的かな~~など(邪推かもしれませんが)

出張先までは「鬼嫁」はついてきませんからね~~
所詮、今も昔も、考えることは同じようなものかと。
そう思うのは、私だけ?

源頼朝は正室「政子」が中心で恐妻家だった?


「源頼朝」
の女性を、わかるだけ記載してみました。
まだまだ、こんなものではなかろうと思います。
出張先や、出先で宴会で花を添えて・・なんてのは、この時代では普通の、ことだったようにも感じます。

「ご落胤」

とは、江戸徳川の時代にもあったお話。
「源頼朝」
本人にしてみれば、「政子」の逆鱗に触れたくないから、お忍びのこそこそした、そんな状況だったのでは?
多くの、武将は堂々と「側室」を持ってるのに、なんともふがいなかったような、印象を受けます。

スカスだ・・

この時代の女性の人権とは、どんな感じだったのかな~~と。
その、女性次第の印象もしますが、弱い方もいれば、「政子」のように亭主勝りの女性も、いたようにも思います。
その人次第とはいっても、やはり、弱い立場には、変わりないな~~と思う次第。
ある意味、翻弄され続けてる、そんな印象を持ちますが、いつの時代も女性と子供は、しんどいな~~と思います。

*多分の私の所感を入れてますので、そうでない部分があったら、ご容赦ください。
内容は、いろんな情報を基に、まとめて作成しています。
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平重盛の家系図と、妻や子供のその後について解説しました。

平重盛の家系図を平氏の系図で!妻と子孫のその後!生きていたら?

大江広元は、優秀な官僚です。

大江広元の家系図と子孫には誰が?鎌倉幕府成立でしたこと年表で!

鎌倉殿に就職したのは大正解でしたね。
末裔には、安芸毛利氏など、有力な方がいます。

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*ヘッダーの写真は、私が撮影した桜の名所、北上市の展勝地の桜の写真です。

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