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端午の節句とは?鯉のぼりはいつから始まった?由来や歴史のお話!

端午の節句は、五節句の一つで、菖蒲の節句ともいわれて、簡単に言えば現在の「子供の日」の五月五日です。
日本国の祝日の一つですね。
象徴はやはり「こいのぼり

が・鯉のぼりっていつから揚げられてるんでしょうか?
その鯉のぼりや、端午の節句のいつから始まった?
のお話です。

 

端午の節句とは?子供の日の由来は?

 

端午の節句」とは?

読み方は「たんごのせっく」です。
では、どんな意味が込められて、この日があるんでしょうか?
誰でもがご存じのように「端午の節句」は5月5日で、この日は祝日で

「子供の日」

です。
母の日があって、父の日があって、女の子の桃の節句があって、敬老の日もあります。
あまねく、国民の節目になるのかな~~とも思うのですが、それぞれにドラマはあるんだな。

 

子供の日はいつ制定された?

 

起源や由来は、次の章で考察しますが、ここでは日本での制定の所以を!

子供の日とは?

祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。1948年7月20日の祝日法の公布および即日施行により制定。
(wikipediaより引用)

さらに、どうしてその日に?

1948年2月に金子洋文、三島通陽が国会で子どもの日について議論した。專門調査員武藤智雄が5月5日を希望する請願を紹介した。同年6月8日に、衆議院議員松澤兼人は「神戸市内児童約二万七千名の署名」による「こどもの日」制定の請願を紹介した。
制定後最初の「こどもの日」にあたる1949年5月5日、こどもの日の切手が発行された。
(wikipediaより引用)

日本国での、祝日として「子供の日」は、1949年が最初なんですね。
昭和24年かと思います。

 

端午の節句はいつから始まった?起源や由来のお話!

 

「端午の節句」はいつから始まったのでしょうか?
このことについて、考察してみます。

端午の節句の「端午」は、最初の午の日という意味があります。
「端」とは、最初という意味もあります。

古来中国では、1月は十二支の寅。
ここから1年が始まります。
午の月は5月。そして最初の午の日が5日になります。

5と5が重なる「節句」の一つになります。
この節句は、一年に5つあって五節句と言われます。

中国の陰陽道では、1、3、5、7、9、と、奇数が重なる日を「陽」と考えていたのですが、この重なる日は逆に

「強い陰」

つまり良くない日なんだな。
なので、身を清めてお供えをして、厄払いをする日と定めていたようです。

 

5月5日はなんで端午の節句(男の日)になった?

 

お雛様の、ひな祭りのページで紹介しましたがお雛様の日は、「桃の節句」です。
もともとその日は、旧暦で5月頃の行事でしたので、田植えの時期。

それに加えて、端午の節句はその2ヶ月もあとですから、6月の末から7月にかけてのころで、梅雨の時期でしたね。
その頃の花は「菖蒲」です。

この菖蒲は、中国伝来で魔よけの効果があると。
なので、5月5日の端午の節句を菖蒲にかけて、また勇ましい「尚武」にかけたんだといわれています。

平安時代にはこの「菖蒲の花」を、武士の勇ましい「尚武」にかけて、子供たちがたくましく、勇ましく成長することを望んで、また出世も望んで、行事として定着してきたようですね。

江戸時代になると、ますます盛んになり、例えば

  • 1:菖蒲の花を剣に見立てて厄払いを行う
    3:武士はしまってあった鎧甲を出して虫干ししたり、さらにそれを飾ったりしました。

今端午の節句で、鎧甲の五月人形が流行っていますが、この時の鎧や兜を虫干ししたときに飾った、その腐臭だと思言われているようですね。(これ納得)
・・・・・・・・
こちらは勇ましく・・日本代表かと!

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・・・・・・

 

子供の日の鯉のぼりの由来や歴史は?いつから揚げるようになった?

 


(私の家の鯉のぼりの写真です)

私が小さい時は、子供の日といえば「こいのぼり」です。
五月人形は、まだ主流ではありませんでした。

「屋根より高い鯉のぼり」

そんな歌がありますが、結構そんな大きな鯉のぼりが立っているところもありましたね。
今では、そんな場所もないので、ちょっと隔世の感があります。

 

こいのぼりの元になった中国の黄河のお話し!

 

中国では、鯉のぼりは「龍」と関係があるようです。
というのは、中国の「黄河」の上流に、「龍門」という滝があるんだそうな。

その滝を鯉が登ると、「竜」になるというお話し。
「登竜門伝説」
があるそうです。
鯉というのは、とても生命力が高くしかも大きく、丈夫でキレイな川でなくとも、十分に生きていきます。

子供の将来のイメージとして、これはうってつけのアイテムですね。

でもこれだけではこいのぼりになりませんよね。
ではいつの時代から、端午の節句に鯉のぼりがあったのか、以下に続きます。

 

端午の節句に鯉のぼりが登場したのはいつから?

 

どうやら、江戸時代のようです。
江戸時代の中期頃、鯉が滝を登る仕掛けのおもちゃがあったそうだ。
端午の節句には、男の子の健やかな成長を願って、幟には鯉が書かれていたそうです。

ここから、鯉を吹き抜けにしようと、考え出されたと言われているようですね。
その頃は、こいのぼり単体ではなく、幟に着いた、小さな旗だったようです。

それが、小さくとも鯉が、風を受けて泳ぐ様がとても人気になり、次第にこの鯉のぼりが大きくなっていたそうで・・・気持ち分かりますね。

材質は、今の時代のようにナイロンや、ポリエステルなんてのは無いですから当然「和紙」でした。
破れやすく、大きな風が吹くと破れたり、雨でまた破れたり、あげたり下げたり大変だったといいます。

こいのぼりの由来は、江戸の中期頃からの由来でした。

 

我が家の鯉のぼりの写真と感想!

 

こいのぼりの、中国での由来はこれはちょっと、さすが中国と言う四千年の歴史はすばらしい!
鯉が滝を登って竜になる。

「登竜門伝説」

ですか〜〜すごいですね。
もしかしたら、登竜門と言う言葉がありますが、ここから来てるのかもしれませんね。
後で調べてみましょう。

女の子の節句「ひな祭り」は別のページで紹介しましたが、当然男の子の節句も、「端午の節句」として、お祝いされるのは、当然でしょう。

父の日、母の日、女の子の日、男の子の日、敬老の日

今の世の中に住んでいる、方たち全員の記念日が網羅されているように、私は思います。
ほとんどすべての方が、自分ではなくても該当すると思うんだな。

 

我が家の端午の節句と鯉のぼりの写真!

 

我が家には、同居人の三女夫婦に女の子と男の子が1人いるんだな。
男の子の方が、年高なので、最初に買ったのはやはり

「鯉のぼり」

です。
ここは山奥の僻地ですから、土地なんぞその辺山中で、なんぼでも。
でも、あまり高い(高さ)ものは立てるのは大変。
なのでこんなものを買って、毎年立てています。

これは私が買いました。
こいのぼりを立てると、いよいよ春本番。
農作業が忙しくなるなぁ・・が実感なんだな。

皆さんの端午の節句はどんな飾り付けをしますか?
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